走馬とともに

暑かった夏の終わりに2歳半の息子走馬が自閉症との診断を受けた。
覚悟はできていた。それまでの彼の行動を、必死になって読みあさった本やインターネットの情報と照らし合わせると自閉症ではないと信じることのほうが難し かった。もう腹を決めて彼の抱える問題に向き合い、周囲の人たちにも理解を求めなければいけない時期に来ていた。

自閉症は、先天的な脳の機能障害で、社会性やコミュニケーションに問題があり、こだわり行動などが見られる。社会的適応が最も困難な障害の一つであるが、 外見上は普通の子と変わらない(というより、聡明そうでかわいらしい子が多いとは専門家をはじめ多くの人が指摘するところである。← ここは大事)。

走馬はよく消える。一瞬のうちにいなくなり、名前を呼んでも決して返事をしないためなかなか見つからない。車通りの激しい県道に飛び出し、走行中の車を止 めたことも度々で、そのたびに寿命の縮まる思いをした。乳児期に心臓病の手術を経験したこともあって、‘この子は生きてさえいてくれたら他には何も望むこ とはない。(だからお願い、死なないで!)’と心の底から思うようになっていた。自閉症だと疑い始め暗澹たる思いになったときも、一方で命とられる病では ないということに安堵していた(もちろん交通事故の危険が去ったわけではなかったが)。子を持つ親にとって最大の悲劇は子どもを失うことであると思う。そ の悲しみを100としたら、障害を持っていることなどせいぜい1や2に過ぎない。

走馬は意味のある言葉はほとんど話さない。彼は言葉の世界ではなく感覚の世界に生きている。停まっている車の窓から雨粒を見つめて半時間以上も満ち足りた 表情で過ごせるすばらしい感性を持っている。ちらちらとふりそそぐ木漏れ日を見ているのも好きだし、一口ゼリーの輝きとその感触にうっとりしていることも ある。彼に言葉を与えたら美しい詩を書くだろう。(その言葉がないのがみそなのだが・・・。)

対人関係を築くことが難しいと言われている自閉症児だが、それでも走馬には家族に対する愛と信頼が確実に育っている。我が家の中心にはいつも彼がいる。毎 朝、家族の中で最後に起きてくる彼を誰が両手を広げて迎えるかについてはいつも小競り合いになる。彼の最高の笑顔が朝の喜びを倍加してくれる。初めて彼が お茶を飲んで“おいしい”といったとき我が家はお祭り騒ぎになった。彼の小さな一歩を見守る喜びはできるだけ家族で共有するようにしている。彼のおかげで 家族の絆が深まったのは間違いない。よく娘たちに弟の障害のことを話しているかと聞かれるが隠さなければならない理由は何もない。彼女達以上の理解者、協 力者はいない。

走馬のいる生活は嬉しいこと、楽しいことがたくさんあるが、やはり困難も多い。家庭での養育そのものの大変さはなんとかやり過ごせても、外で受けた打撃か ら立ち直るのには多大な時間と労力を要する。ただ短い経験上いえることは、周囲の理解と協力は親(特に母親)の生きる姿勢への共感によって得られるものだ ということである。私次第なのである。私は息子の障害を嘆くつもりはない。そんなことは彼に失礼だと思っている。それに、私達は何も失ってはいない。失っ たものがあるとすれば、勝手に思い描いた将来の夢なのだろうが、そんなもの元から手にしてなどいなかったのだ。毅然と前を向いて歩いていきたい。走馬とと もに・・・。 私たち家族なら彼を支える最高のチームになれるはずだ。

(2008年に息子さんの走馬君が自閉症の診断を受けた直後に、関係する団体の会報誌に載せた文章です)